欲求の言語化

私のなりたい自分とはなんだろうか。

子宮を無くしたい、これは簡単ではない。医師と話し合って医師が納得してくれれば治療を開始できるが、いかんせん自分の住んでる地域では保険適応でのSRSは受けられない。であれば、ホルモン治療もまた保険適応はできない。

それにまだ迷いがある。子宮を取ったところで、私が女の体であることに変わりはないし、ホルモン治療したところで骨格は変わらないのだし、その治療で今よりも体調不良が増えたら十中八九働けない。それでは本末転倒だ。

 

では簡単なところから、自分はどうなりたいのだろうか。

 

例えば髪型。今はショートがとても楽で気に入っている。先日髪も切ってきた。一度前髪を短くしてみたが、やはり前髪なしで左右に流してる方が好きだ。では後髪はどうか?

伸ばしたいという気持ちが少しある。なぜなら簪が好きだからだ。一本挿しでかんざしだけで髪の毛をまとめるのが好きだった。それをもう一度やりたいという気持ちと、伸ばすの面倒くさいなという気持ちと、伸ばしていいのか?という気持ちだ。

Aジェンダーと名乗っている。長い髪は女性の象徴だ。女性に逆戻りして、私は精神を崩さずいられるだろうか?わからないのだ。

これが思考が囚われる、ということなのだろうか。

 

また服も大事だ。大学に入ってからは自分の体型に似合う服、自分の体型を隠せる服ばかり買ってきた。よって、持っているものは基本的にレディースだ。スカートもたくさんある。パンツスタイルの方が好きだが、いかんせん曲線のシルエットがキツい。足を開いて座っても気にならないのはいいことだが、より女性らしさをアピールしているように感じてしまい、納得がいかない。

 

私のなりたい私とは一体なんだろうか。今までは親が髪を切るかと聞いてきたら切る。親がこの服どう?と聞いてきて、嫌じゃなかったら了承する、親が気に入りそうな服を選んでみる。ようやって生きてきたため、自分が着たいもの、自分が目指したいものがさっぱりわからない。

ちなみに成人式の振袖も、私が最初気に入ってるものとは全然違うものになった。いや、最終的に私も気に入っているデザインや色ではあるのだが、親がかなり気に入ってる様子だし、自分も嫌ではないからこれならいいかな、と決めたものだ。赤い生地にのし柄、そこそこ身長のある私なら着こなせる古典柄。古典柄が好きだと思ってたからいいやと思った。赤は似合う色だからいいやと思った。だが母の成人式の写真は親が用意した振袖(ピンクで気に入らなかったらしく)ではなく、レンタルの緑色に白い大きな花の絵が入ったデザインのものだった。羨ましい。その柄私も好きだ。でも、自分の振袖を選ぶときには緑は除外した。似合わない色だからだ。

 

そう思うと「好きなものを選ぶ、着る」ということをしてこなかった。好きなものってなんだろう。

 

髪を染めてみたい。だが、そろそろ就活だし染められないのではないか?とか。今伸ばし始めていつかんざしをさせると思ってるんだ?とか色々考えてしまう。

 

Aジェンダーにモデルロールがあればよかった。それに沿えばいいから。しかし、そうではない。Xジェンダーの方々は自分らしさを示す人たちだ。少し疎外感を覚える。

だって、なりたい自分がわからないのだ。露頭に迷ったまま、老いていくのだろうか。

 

自分を見つめ直して、なりたい自分、というものを探してみたい。彼女とならできるだろうか?

 

ふとそんなことを思う、とある日であった。