TERFと呼ばれる人の意見、割とマジでキツい

そう言いつつも、いつでも振り返れるようにいいね押してるんですがね。そして後で振り返ってダメージを負う。それでも、私の中でその意見を繰り返し問答する意味があると思ってます。

 

こうなりたくはないなあと正直に思いますし、なにより自分が聞いててつらくなる。あ、私は「フェミニストは女性しかなれない」みたいなこと思ってないので、発言者が男性か女性かそうでないかは関係ないです。例えば誰々のこの意見、みたいなことは荒れるのでしませんが、例えばTERFと呼ばれる人たちの主義主張、それが差別的であり、ヘイトスピーチにあたる人権侵害である時が多くあります。対抗する意見にもまた同じことが見受けられる時や、過激な言葉選びをする人がいるのであんまり強く言えないんですけど、それを見ると心が痛むんですよね。私はXジェンダーに当たる無性、あるいはAジェンダーを自認しており、社会に自分が適合する性別が存在しない状態です。なので、仕方なく女性として生きてるし、障害もあるので治療を受けて体をいじって維持して、みたいなことができる未来は描けません。女性でいることは苦痛だし、女性の中にいることも苦痛。だからといって男の中に入っていけるかと言われれば無理だと思うし、どんなに良い治療をして、どんなに努力して体型作っても私が23年間女として生活してきた癖や感覚、女として適応してきた経験が消えて無くなるわけではない。どんな生き方をしようと、今の社会では私は私として受け入れてはもらえない。それは事実。新しい性別という枠を作ってくれたら、とすら思う時もなくはないです。でも、その枠組みに入りたい人と入りたくない人がいて、入りたくない人を勝手に他人がそこに押し込めるのもなんだか違うと思うし、どんな理屈こねてもヘイトスピーチを垂れ流すのはやっぱりおかしいと思う。

 

私は私の性別を受け入れてもらいました。診断書を作ってくださった医者や、改名の際に担当してくださった裁判官に。あの時の嬉しさを忘れることも、無かったことにすることもできません。あの時認めてもらえなかったら、そう思うと絶望で目の前が真っ暗になっていたことでしょう。もう生きていくことはできないと思ったかもしれません。トランスジェンダーの方々は、日々そんな思いをTERFと呼ばれる人たちからさせられているのかもしれません。そう思うと悲しく、苦しく、心が痛みます。

 

TERFと呼ばれる人の意見は、時折「なるほど」と思わせます。そういう人たちがいるのか、私はそれをどう解釈し、どう答えを出せば良いだろうかと悩みます。そして、いつも考え込んで答えが出ないまま、苦しさに引きずられながら気持ちが塞ぎ込んでしまいます。最近Twitterに浮上しないのも、そういうわけがありました。他の事情もまあ、あるにはあるんですけど。最近……最近?大量に流れてくるようになって、ああ無理だと思った次第でございました。ブロ解する決意がついたのは、やっぱりキツいもんはきついし、時々流れてくるとかそんなレベルじゃなくなって、先日久々にバイトに行けないほど落ち込んでしまったからです。いやあ、あの時話題になったあの人、私がここで批判したあの人ですよ。あの人の時もそうだった。あのレベルでもう見てられないって思ったんです。この際荒れるとか角が立つとか気にせずはっきり言いますけども。

 

うん、話を戻しましょう。TERFの話でしたね。正直に言うと誰がTERFと呼ばれていて、誰がそうでないかなんで分かりません。分かりませんが、トランスジェンダーを頑なに認めない、受け入れない、人として見ていないその意見が、トランスジェンダー差別ということは分かります。私はアロマンティック・アセクシャルであり、性別無性のAジェンダーであり、そしてアライでもありたいと思ってます。そのせいか、その人ひとりひとりの意見や解釈を否定することが、私には難しいです。特にアロマアセク以外の性的指向性自認に関してはちんぷんかんぷんですし、なんならアロマアセクですら文献が海外のものが多くてわからないことばかりです。だから、口出しできないというのは実情としてあります。LGBTヒストリーブックというものを読んで、同性愛者やトランスジェンダーの人々の歴史を知ってもなお正直なんもわかんないです。分かったなんて口が裂けても言えません。だって、異性愛のことすら分からなくて理解できてないですから。ただ、どれだけ悲惨な過去があったかということだけを知りました。それを踏まえて私が言えることがあるとすれば、ヘイトスピーチをやめてくれ、過激な言動をやめてくれ、言論の自由というのなら、せめて言い争いではなく話し合いくらいの調子で話してくれ。頼むから、そこに一握りの優しさと、人権意識を持ってくれ。それしか言えません。

 

女性を守るため、という言葉があります。ええ、女性も守られるべきです。でも、トランスジェンダーであろうと女性は女性で、男性は男性だと思うんです。もしもそれが「悪用」であったなら、法で裁かれるべきであると思っています。

被害者が出るまで放置するのか?被害が出てからでは遅いと言います。ええ、そうかもしれません。でもね、たとえば犯罪はどんな罰が待っていても起きています。犯罪を犯しそうだから、その人の人権を侵害して未然に防ぐということは倫理的にできないと思いますし、してはいけないと思います。だって、その人はまだ犯罪を犯していないから。

性犯罪の多くは男性が加害者です。ええそうですね、数字としてはそうです。女性の権利向上とか、女尊男卑な世界にしたいとかそういう思いではなく、私はただ純粋に「性犯罪による刑罰が軽いのでは?」と思っています。そして、社会からの認知の歪みようったらありません。女性から男性へのセクハラなんかもそうです。軽視されすぎている。コントロールできないものと思わされている。他者に危害を加えるような「反社会性」の気質であるとみなされても良いのではと思うのに、命が失われてもなお「性犯罪」に対する社会全体の意識は低いまま。それはあまりにもおかしい。でも、それとこれとは話が違うと思いませんか?性犯罪に対する社会の意識変化も必要ですが、それを人権侵害の理由にしてはいけません。犯罪者が変装して逃亡する可能性を無くすための「変装罪」とかそんな感じのが昔、トランスジェンダーの方が異性装をすることすらを罪としました。前開きのシャツのボタンが左右違うだけで捕まった、そんな時代がありました。それと同じことを繰り返すのですか?他人の人権を侵害して守られるのは心地よいですか?私はそうは思いません。そう思わないからきっと、TERFと呼ばれる人の意見がつらいのだと思います。

 

私にはまだ立ち向かう力はありません。知識も経験もありません。声を上げることすらできません。でも、それでも、私の気持ちを無かったことにもできません。ぐちゃぐちゃと悩んでも、やっぱり私はトランス排除を受け入れたり、理解することはできません。(覚えとこう、といいね押したりはしますけど、いいね押したからって賛同してるわけではないんですよ。ブックマークができる前からTwitter使ってると、新機能をいつまでも使いこなせないんですよね)

 

私の考えは結構揺らぎます。でも、根本的な部分は揺らがないです。差別はできない、排除はできない。どんなに考えてもやっぱり、無理なものは無理でした。だから、時々こうやって吐き出そうと思います。何か書こうと思ったら、やっぱり書くべきだと思いました。その決意を胸に、筆を置こうと思います。では、また何か書くことがあったら。