PTSDだった話

性的暴力を受けた時にはならなかった男性不信に、モラハラ男と別れた後になった話。

 

私は付き合った人に性暴力を受けていた(避妊しない、性行為の強要など。Aとする)。ようやく別れた後、部内恋愛だったため部員が1人来なくなるかもしれないと部長のBに報告。その時やけ酒してたため乱文だったこともあり心配したBが通話をかけてきた(なお、Bはテスト前日であり、成績優秀者になれば学費が安くなるらしく、そのテストが再試になったと言われて後に別れづらくなった)。

 

そして、付き合ってほしいとBが告白してきた。自分は恋愛ができるのか、出来ないのか、分からずに揺れていた私は最後の1回だとその告白を受けた。

そのBはモラハラ男だった。

 

別れるまで1年半ほどかかった。何度も何度もぶつかり合い、モラハラを矯正できないか模索したが全て無駄に終わった。私を下に見ている態度を改めようともしないので、ボロが出たところにうまく口実をつけて別れてやった。やっと安心できる。ここまでしてもわからないのだからもう恋愛はできないってことでいいだろう。そんな安堵に包まれた矢先の4月、私は異変を感じることとなる。

 

男性が怖い。

 

エレベーターで乗り合わせた男が怖い。電車で近くにいる男が怖い。授業の時に自分の前に座ってる男が怖い。そこそこ仲のいいはずの知人の男が怖い。怖くて、不安でたまらなかった。知人の男が怖いと思った時は本気で落ち込んだ。

 

付き合おうと近づく男に、告白されるまで気付いたことが一度もなかったため、何もかもが怖かった。知人男性が「今度飲みに行こうよ!」と言った時にはその場から逃げ出したいとすら思った(バイト中なので逃げられなかったが)。

そして、今のパートナーと初めて性行為をすることになった時には気付けばBの名前を口走りパニックを起こして泣いてしまった。たかが1年では傷は癒えなかった。

 

なので、性行為やキスに伴う恐怖感とか不安は分かるつもりだ。分かるつもりだが、ノンセクシャルの漫画って、そんなに批判されるものなのか?

私にとってキスって親愛の表現で、酔っぱらった時とか友達にキスしてたしな。峰くんも「できれば」したくない、ということは全く無理というわけではなくて、あの時のキスに暴力性を感じてはいない可能性を想像してしまうのですね。最後の別れに、好きだと思った彼女に別れの、親愛のキスをしたのでは?とね。

 

閑話休題

 

私は性行為のできるアセクシャルだ。相手が喜ぶから、という理由なら性行為ができる人間だ。ただ、私からパートナーに性的欲求の矢印は伸びない。私から誘うということはまあ、ほぼ無い。ムラムラするからやるかぁと言うことはあるが。

 

それをずっとやってきた。Aの時も、Bの時も。そして、相手のやり方に耐えられなくなってしまった。そして、私を支えてくれたはずのBですら性行為に非常に重きを置いており「デート=泊まりでセックス」の人だったのが決定的な別れる理由となった(一緒に買い物してカフェ行ったのにそれがデートに含まれてなかったショックといったら……頭が爆発するかと)。

 

そこから始まった男性不信。男は性行為をしたがるものだ、という観点から体格の良い男はみんな怖かったし、私に近づく男は全員敵に見えた。治した方法といえば、暴露法……エクスポージャーと言われる方法だ。

 

不安になって、恐怖に身を固めてもそれらを避けなかった。自分の前に座ってた男は、下心があるわけじゃなく、留年して居場所がない私に気を使ってくれただけだ(グループワークがあるので)。同じゼミになったから親しくしているだけだ、そう結論づけてひたすら逃げない、平静を装って関わり無闇に逃げたりしない。

まあ、そうするしかなかったとも言えるが、ひとまず成功はして、一応恐怖や不安は克服した。代償としてパニック発作を起こしたり、双極の診断が出た時期もあったが、それはまた別の話で。

 

補足:パートナーとは良好な関係です。嫌な時は嫌といえば「分かった」と言ってくれる人ですし、こちらのセクシャリティを分かっているので言いやすいというのもあります。「できる」と「したい」は別ですが「できる」だけで付き合ってても、何とかなったりするものです。全くの無問題というわけでは無いですが、パートナー探しをしてる人に少しでも可能性を感じてもらえたら良いなと思います。