タバコの話と薬の副作用の話

気付けば1ヶ月半も何も書いていなかった。

それほど書く内容もない生活だったとも言える。

 

劇的な変化があったとすれば、先月末の事くらいだ。それも、特段書くことはない。相手の倫理観と私の倫理観がそぐわなくなっただけだ。私は最後まで謝罪を待っていたが述べてもらえなかったので、見切りをつけた。あとはもう向こうは勝手にやってればいいと思う。

 

何か話題があるとすれば、減煙と薬が増えたことくらいか。

減煙と言っても、まず吸う本数を可視化してチェーンスモーカーなのを卒業したくらいだ。正直連続で吸いたくなるのをやめるのは大変というか、我慢しようと思ってなかったらスパスパ吸ってるだろうなぁという感じ。それだけ数本数が減ったかと言えば、喫煙間隔が狭まっているような気がしなくもない。禁煙できるならしてしまいたい気はする。タバコは自傷行為の一環なので、自傷行為をやめられない負い目もある。だが、同時に趣味でもあるので程々の本数で吸い続けたいとも思ってしまう。

決めた日は禁煙だ!お金の無駄!と思ったが、刻一刻と寿命が減るタバコは直後に体調に出る眠剤ODや酒よりよっぽど目的に対するリスクが少ないように思えてしまう。酔い潰れるほどのお酒を買うより安いし、そうやって自分の都合のいい解釈をしてダラダラと今もタバコをふかしてる。よくないんだろうなぁ。

 

増えた薬はコンサータADHDの治療薬だ。

これを飲んでから昼間の眠気が改善されたなという感覚はあったが、主治医からの指摘でそういえばギリギリまでやるべきことを放置しないで、事前に取り組むということがあったなぁと気付いた。今も、必要があるかはわからないが統計学の本のコピーを音読して内容をインプットするような作業もできてる。(そもそも本が読めてる)

なかなか薬がきいてるんじゃないかと思うエピソードだ。しかし、副作用で食欲がかなり減退した。元々無かった症状が出る(振戦など)のは違和感があまりないのだが、あったもの(食欲)がなくなると脳が違和感を覚えるらしく、空腹感で知らせてくる。まえは空腹になっていなくても食べたくて仕方なかったのが、今は空腹でも食べる気がしないなんて不思議な話だ。痩せすぎなけりゃいいだろ、と思ってる。実際太り気味だし無駄な間食や多食がなくなりちょうどいいと思う。

 

そんなものだろうか。食欲不振の覚書と、タバコへの考えをちょっと深めたことの記録ということで。

PTSDだった話

性的暴力を受けた時にはならなかった男性不信に、モラハラ男と別れた後になった話。

 

私は付き合った人に性暴力を受けていた(避妊しない、性行為の強要など。Aとする)。ようやく別れた後、部内恋愛だったため部員が1人来なくなるかもしれないと部長のBに報告。その時やけ酒してたため乱文だったこともあり心配したBが通話をかけてきた(なお、Bはテスト前日であり、成績優秀者になれば学費が安くなるらしく、そのテストが再試になったと言われて後に別れづらくなった)。

 

そして、付き合ってほしいとBが告白してきた。自分は恋愛ができるのか、出来ないのか、分からずに揺れていた私は最後の1回だとその告白を受けた。

そのBはモラハラ男だった。

 

別れるまで1年半ほどかかった。何度も何度もぶつかり合い、モラハラを矯正できないか模索したが全て無駄に終わった。私を下に見ている態度を改めようともしないので、ボロが出たところにうまく口実をつけて別れてやった。やっと安心できる。ここまでしてもわからないのだからもう恋愛はできないってことでいいだろう。そんな安堵に包まれた矢先の4月、私は異変を感じることとなる。

 

男性が怖い。

 

エレベーターで乗り合わせた男が怖い。電車で近くにいる男が怖い。授業の時に自分の前に座ってる男が怖い。そこそこ仲のいいはずの知人の男が怖い。怖くて、不安でたまらなかった。知人の男が怖いと思った時は本気で落ち込んだ。

 

付き合おうと近づく男に、告白されるまで気付いたことが一度もなかったため、何もかもが怖かった。知人男性が「今度飲みに行こうよ!」と言った時にはその場から逃げ出したいとすら思った(バイト中なので逃げられなかったが)。

そして、今のパートナーと初めて性行為をすることになった時には気付けばBの名前を口走りパニックを起こして泣いてしまった。たかが1年では傷は癒えなかった。

 

なので、性行為やキスに伴う恐怖感とか不安は分かるつもりだ。分かるつもりだが、ノンセクシャルの漫画って、そんなに批判されるものなのか?

私にとってキスって親愛の表現で、酔っぱらった時とか友達にキスしてたしな。峰くんも「できれば」したくない、ということは全く無理というわけではなくて、あの時のキスに暴力性を感じてはいない可能性を想像してしまうのですね。最後の別れに、好きだと思った彼女に別れの、親愛のキスをしたのでは?とね。

 

閑話休題

 

私は性行為のできるアセクシャルだ。相手が喜ぶから、という理由なら性行為ができる人間だ。ただ、私からパートナーに性的欲求の矢印は伸びない。私から誘うということはまあ、ほぼ無い。ムラムラするからやるかぁと言うことはあるが。

 

それをずっとやってきた。Aの時も、Bの時も。そして、相手のやり方に耐えられなくなってしまった。そして、私を支えてくれたはずのBですら性行為に非常に重きを置いており「デート=泊まりでセックス」の人だったのが決定的な別れる理由となった(一緒に買い物してカフェ行ったのにそれがデートに含まれてなかったショックといったら……頭が爆発するかと)。

 

そこから始まった男性不信。男は性行為をしたがるものだ、という観点から体格の良い男はみんな怖かったし、私に近づく男は全員敵に見えた。治した方法といえば、暴露法……エクスポージャーと言われる方法だ。

 

不安になって、恐怖に身を固めてもそれらを避けなかった。自分の前に座ってた男は、下心があるわけじゃなく、留年して居場所がない私に気を使ってくれただけだ(グループワークがあるので)。同じゼミになったから親しくしているだけだ、そう結論づけてひたすら逃げない、平静を装って関わり無闇に逃げたりしない。

まあ、そうするしかなかったとも言えるが、ひとまず成功はして、一応恐怖や不安は克服した。代償としてパニック発作を起こしたり、双極の診断が出た時期もあったが、それはまた別の話で。

 

補足:パートナーとは良好な関係です。嫌な時は嫌といえば「分かった」と言ってくれる人ですし、こちらのセクシャリティを分かっているので言いやすいというのもあります。「できる」と「したい」は別ですが「できる」だけで付き合ってても、何とかなったりするものです。全くの無問題というわけでは無いですが、パートナー探しをしてる人に少しでも可能性を感じてもらえたら良いなと思います。

私を自宅に留まらせるもの

最近外に出ると「不安」を感じることが多くなった。この手の不安は身に覚えがある。電車がくるホームで待っている時なんかによく感じる「急に飛び込んでしまうんじゃないか」という不安だ。

 

危険な場所、というのは苦手だ。例えば、バイトでキッチンに入らないのには理由がある。フライヤーだ。あの大量の油に向かって足を滑らせて手を突っ込んでしまうんじゃないかといつも頭をよぎる。作業ができないわけじゃないが、常にその思考が頭にあると疲れるし、効率も落ちる。あとは、階段を下りる時に手すりを掴みたくなる。転げ落ちるかもしれなくて不安だからだ。

 

最近感じたのは車だった。道を歩いている時に、車道に車が走っているだけでふと不安になり、頭に「急に車に飛び込んでしまうかもしれない、急に車が方向転換してくるかもしれない」とよぎり、そんな事ないと考え直し、車はそのまま過ぎ去っていくことの繰り返し。

しかも、私は歩道を歩いていて、2車線の自分側に車が走っているだけでこうなる。今まではこんなことなかったのに。

 

着実に鬱の波が来ている。それもさらに不安を増長させる。最近はよく外に出ていたが、鬱になると出ることすらままならなくなる。先述の通り、外に出ると頭に不安がよぎるからだ。それも、希死念慮がふつふつとまたわいてきたというか、意識の方に進出してきた感じがしてソワソワするというか……。身の回りの「危険」なことに巻き込まれる不安がつきまとう生活、意識してなかった頃は当たり前すぎて気がつかなかったけど、気付いてしまってからだとつい気をやってしまう。また不安になってる……ダメだ……この思考を変えないと、と。そしてグルグル悩むことになり、外に出るのがさらに億劫になり、怖くて、不安な毎日の中お金を稼ぐためにだけ外に出る……そんな未来が見える。

 

次回精神科で相談しようかな。

帰納的推論で同性愛を「証明」しなきゃいけないワケ

アセク界隈を荒ぶらせたツイート主は、同性愛者は「帰納的推論」によって証明できるのでまだ理解できるが、アセクシャルは反例が多いから、と言っていた。

 

じゃあそもそも証明しなければならない意味とはなんなのだ。帰納的推論というものから考えていく。

 

帰納(きのう、英: Induction、希: επαγωγή(エパゴーゲー))とは、個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする論理的推論の方法のこと。演繹においては前提が真であれば結論も必然的に真であるが、帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保証されない。(Wikipediaより引用)

つまり、同性愛者は「人を愛すること」という普遍的な、一般的な規則・法則が見出せるので、結論が真であるのではないか?ということだ。

 

ではアセクシャルではどうだろう「人を性愛的に愛さない(その経験がない)」人には「今まで経験したことのないことは、この後も経験しないだろう」という可能性がある。それに対して「今後人を好きになるかもしれない」が反例になるとすれば、それこそ一般的な「人を好きになる」という法則からは外れるので強く批判されるということなのか(こういう哲学的な問題に関しては明るくないのでご容赦)。

 

では「太陽が登っている時、肉眼で星を見ることはなかった」という経験の事実から、今後も肉眼で星を見ることはないだろうと言っている人がいたとして、それが批判されるのだろうか。「星は日中でも空にあるので、日食のような暗くなる日には肉眼でも見えますよ?」とか言ってしまうのか。

その人が少し目が悪かったら?

日食中の空に星が見えなかったら?

その人の経験では生きてから死ぬまで「太陽が登っている時、肉眼で星を見ることはない」し、事実から目を背けたのではなく実践しても見えなかったのだとしたら、それは「肉眼で日中に星を見れない」という結論があってもいいのではないか?それがたとえ一般的でなくても。あなたの目が悪いから見えないんですよ!!!あなたのような存在は一般的じゃありません!って批判されたら普通に辛くないですか?目が悪いのなんて自分が悪いわけでも、コントロールできるわけでもありません。

私みたいに左右差がありすぎて1.0以下のメガネを作らざるを得ない人間だっていますしね。

 

さて、話がズレてしまったので元に戻すとして、どうして証明しなければならないのか。それは「一般的」ではないからです。同性愛が「普遍的なもの」ではないからです(という前提がなければ証明なんて話にならないでしょう)。一般的で普遍的なものと同じ法則を見つけることで一般化しましょうというのが帰納的推論と言えば良いでしょうか。

 

この帰納的推論にアセクシャルを当てはめることができないから存在しているとすら言えなくなるそうです。謎。さっき言ったように「今までその事柄を一度も経験したことがない」なので「これからも経験しないだろう」という推論は間違いなんでしょうかね。そして、机上の空論で証明されなければ私たちの存在が認めてもらえないとかどれだけあなたは偉いんですか?と思うわけです。私としては。

 

同じ机上の空論、哲学の方面で考えてみよう。哲学者のパスカルは神が存在しない場合、信じていようが信じていまいが得することも損することもない。神が存在した時、神の存在を信じていれば天国に行くことができてお得である。また、神の存在を信じていなければ、得も損もない(信じてないのなら期待するものがない)。これがパスカルの賭けと言われているらしい。

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Wikipediaより引用)

 

この理論を使えば目に見えない感情による事象である「同性愛」「異性愛」「両性愛」「無性愛」全てを「信じていれば当事者も周辺人物もお得じゃね?」という理論を持ち出すことができる。どうせ机上の空論でお話しするならこの方がいい。だってアセクシャルやアロマンティックはいつもいつも「悪魔の証明」と言われるんだから、このくらいライトに存在を肯定されたい。

"レインボー"の中に入れるか

レインボーの6色(場合や場所によりこの通りではない)が掲げられ、その人が自分自身である事の肯定や周囲への存在の周知、そして団体として存在する事で安心感が得られる素敵なお祭り……レインボープライド。

 

私は時々レインボーについて考える。レインボーってなんだろう。セクシャルマイノリティのためにあるのだろうか。GSRMをbioに書く私にとってはジェンダーセクシャリティがマイノリティの人のためのものであって、ロマンティックマイノリティは居場所がないなぁと感じることがままある。

自分はマイノリティの人間じゃないよ!と思ってる人の中にもいるんじゃないだろうか。例えば「体の関係がない、恋人のような存在になっている人物」の存在が。それを恋と呼ばない人たちは、皆もれなく「強制的性愛主義者」なんだろうなぁと。そしてそれはレインボーを掲げる人たちの中にもたくさんいる。これに悩まされるのがロマンティック・アセクシュアルだ、と思う。

 

私自身は大切にしたい人物がいる。だが、恋はしてない。強制的性愛主義者に追い詰められる1人、アロマンティック・アセクシュアルだ。恋でも、性愛でもない愛情が、まったくの赤の他人に対して確かに存在するんだ!と言っても「証拠は?」と聞かれれば答えることができない。同性愛者やバイセクシャルパンセクシャル、その他諸々あるんじゃないか?「本当にそうなのか?証拠は?」と自他に首を絞められることが。

アセクシュアルでない人は簡単だろう、抱くか、抱かれるかができれば良いのだから。私の体はそれを求めていると主張すれば、世間一般の恋人像に馴染み、比較的受け入れてもらいやすい状況を作り上げることができる(それすら難しいのは承知の上で)。

恋ができても性愛がないロマアセクは「抱けない、抱かれることができないなら……」と言われ、私たちアロマアセクは愛情の存在すら疑われ、証拠を指し示すことができない。

だが確かにそこに存在するのだ、愛が。

 

レインボーの中に、私たちAceが立ち入ることができるのだろうか。その中で、私たちが安心してプライドフラッグを掲げて……いいや、掲げることすらしなくても認知されてパレードができる日が来るのだろうか。

今はまだ遠い先の話だろう。なんせ、主義主張が真逆だ。人を愛する自由を掲げ、どうしてと問われれば己の願望を指し示せばいいLGBと、自分の辛さや治療経験などを指し示せばいいT。それと対比するように「人を性的に愛さない自由」を持つ、問われても指し示す証拠すら出せない私たち。LGBTの広まりまでの道のりは長かった。だから、アセクシュアル の道のりもまだまだ遠い。アロマンティックをはじめとするロマンティック・マイノリティたちも。その先人になるのは私たちと考え、無闇矢鱈な言動は控え、地道に進んでいくしかない。それが、私たちができる土台造りだ。

ネットでの情報拡散は先人たちがやってくれた。アセクシャルの言葉と同時にノンセクシャルという言葉も広め、アロマンティックとロマンティックの差を示してくれた。Ace界隈ではロマンティック・マイノリティについての認識が広まっている方だと思う。これから私たちができることは、その情報をさらに正しく伝えること、LGBの主張に心が折れないくらいのバックボーンを作ることであると考える。

 

私は以前、セクシャルマイノリティの集まりで恋人探しのために来ている人に遭遇した。

"そういう目"で見定められていたという事実がひたすらに不快だった。恋愛至上主義の集まりであるという様を見せつけられたように思えてならなかった。マイノリティの場ですらマイノリティであると突きつけられた気がした。

……ショックだった。

 

想像して欲しい。世の中のマイノリティであると知って、ショックを受けた人は多いのではないか。マイノリティに対する世間の目が怖いと思ったことはないか。マジョリティの言動で傷付いたことはないか。私たちは安全地帯と思った場所で同じ経験をさらに繰り返す事になる場合がある。これが結構つらいのだ。

 

私たちは今、過去のLGBと同じ場に立っている。まだきっと知られていないだけなのだ。私の主張はただ「恋愛をしなければダメですか?」「人を愛するときに、必ず性的行為をしなくてはなりませんか?」「人を愛さなければならないですか?」それらに「いいえ」と答えて欲しい、それだけ。今はまだ、社会的な何かの変更や享受は求めてない。ただ自分たちの存在を知って欲しい、受け止めて欲しいだけなのだ。どうかLGBTの集まりが、レインボーの集団が、私たちも一歩踏み入れられる環境であってほしい。可能なら、私たちの「プライド」に笑顔で手を振って欲しい。

 

切実にそう思うなど。

批判に対する批判

タイトル通り、批判に対して批判を行う。見たい人が見てくれたらいい記事。

かといって、その批判の元となっている事柄の擁護だけが目的ではない。批判されがちな点に対する私の考えの主張だ。

 

最初に言いたいことは、批判的思考で物事を見ることそのものは正しく、またその際に出た批判の内容に関して正しいと思うなら賛同を、そうでないならさらなる批判が起きるだけである。投稿主への攻撃を目的としたブログではないことをここに書き記しておきたい。

 

今回私が取り上げたのはこちらのnoteだ。

 

「本当はアセクシャルも同性愛者と同じぐらいいたのに・・・電通の「13人に1人はLGBT」という“自覚無きAce差別”」

https://note.com/tomokihino/n/n8233f0d2d560

 

目次は以下の通りだ

電通により“水増し”されたものと“無視”されたものと実際には「同性愛者:0.7%」「無性愛者:0.8%」だった
・Ace界隈も「アロマンティック」を無視しないようにしなければならない
・デミセクシャルとフレイセクシャルの扱いの差
・マイノリティだからと言って一枚岩とは限らない

 

 

このなかからまず「電通により“水増し”されたものと“無視”されたものと実際には「同性愛者:0.7%」「無性愛者:0.8%」だった」について触れる前に、調査の振り返りと私の感想を載せたいと思う。

LGBTは13人に1人(7.6%)と話題にもなった報告を出した電通調査、その内容とは。

https://www.dentsu.co.jp/news/sp/release/2015/0423-004032.html

「本調査では、セクシュアリティを「身体の性別」、「心の性別」(自分は男だ、女だという性自認)、「好きになる相手・恋愛対象の相手の性別」の3つの組み合わせで分類し、DDL独自の「セクシュアリティマップ(※4)」(下図参照)を元に、ストレート(異性愛者で、身体と心の性別が一致している人)セクシュアリティである図内②(ストレート男性)と、図内⑩(ストレート女性)と答えた方以外をLGBT層と規定しています。」(記事引用)

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「図:電通ダイバーシティ・ラボ制作の「セクシュアリティマップ」」(引用)

 

カラダの性に含まれていない「インターセックス 、DSDs(性分化疾患)」と呼ばれる、生まれつき体の性別が女性、男性と一概に言い切れない人たちのことを不可視化していると言えなくはない。LGBTQ+に含めていいかと言う論争がどこかでありそうだが、少なくとも心の性別は持っているだろうし、心の性別と好きになる性が一致しない人もいるだろう。インターセックス 、DSDsを無視したと言われても仕方のないと言えなくもない。

次に心の性別が男女2通りしかないことだ。LGBTのTにあたるトランスジェンダーアンブレラの中には沢山の区分けがある。男女の区別で言い切れるものを「ジェンダーバイナリー」男女の区別で言い切れないものを「ノンバイナリー」や「Aジェンダージェンダーフルイディティ」などなどだ。これらは全て無視され、代表のトランスジェンダー女性、トランスジェンダー男性のみを指している。

最後に好きになる相手が男女、またはどちらかの選択肢しかない。トランスジェンダーが好きという人がいるにも拘らず、それは反映されていない。

そして、好きになる相手はいない、恋愛的と性的が分かれてないなどたくさんいいたいことはある。それらを踏まえてこれらから推測できることは「LGBTで代表とさせるものを分かりやすく12個に分けた選択肢にして調査をしよう」という意図があったであろうということだ。

 

つまりどういうことか、研究の際の調査項目を煩雑にするとどうなるか、デメリットや問題点をまず述べようと思う。

①研究目的に沿わない質問の選択肢はなるべく減らすべきでたる。LGBT(市場調査)の研究と述べている時点で求めているデータはLGBTのデータなのだ。

トランスジェンダーの中にノンバイナリーたちは含まれないのかと疑問はよぎるが、ノンバイナリー達の恋愛対象がわかったところでそれは「LGB」ではなくなってしまうのではないか、というものだ。

例えば、MtXと男性のカップルはゲイカップルだろうか?私は疑問に思う。この2人をゲイカップルと称すれば、ノンバイナリージェンダーの人は男だということになってしまう。ではなんと表記されるか?というと『セクマイカップル』だ。今回の調査はLGBT調査でありセクマイカップルの調査ではなかった。もっと正しい言い方をすればLGBTの調査であってセクシャルマイノリティの調査ではなかった。よって、ノンバイナリー等を選択肢の候補に入れるのは難しかったと考える。

LGBTアセクシュアルが含まれる可能性はあるが、それを加えれば選択肢が16個に増える。また、アセクシュアルを取り扱うにあたり必要なことは「性愛的感情を持っていないが恋愛感情を持つ」人の存在だ。つまり、全選択肢に「恋愛感情で好きになる相手」「性愛感情で好きになる相手」を付け加えなければならなくなり、16×2の32項目となる。その時点で回答者には多すぎる情報量だ。先に述べた通り「研究内容に沿わない質問の選択肢はなるべく減らすべき」という点から考えると32項目もあってはどれが自分に当てはまるのかを回答するまでにかなりの時間を要する。これも問題点の一つだ。

③現状のセクマイ界隈ですら「恋愛感情」と「性愛感情」を分ける考え方は浸透していないにも拘らずその選択肢を用意することは、回答者の混乱につながる。それは研究者として避けたい事態だろう。その上恋愛では両性を、性愛では男性を、とした場合どこまでが「ゲイ」になるのか論争が巻き起こるだろう。

 

つまり、図示した選択肢「以外」の人たちを不可視化したいのではなく、調査が煩雑になること、目的から外れた調査になること、これらの理由から電通調査ではこの"12項目"のみを研究調査に使用したと考えるのが妥当である。

 

また記事の最後の注釈から引用したい。

「※4  セクシュアリティマップは、簡易的にセクシュアリティを説明するために制作したもので、すべてのセクシュアリティをカバーするものではありません。例えば、「心の性別」が男女どちらかに規定されない人々も存在します。今回は調査上「その他」として集計しています。」(記事引用)

と載せられている。つまり、その他のセクシャリティとしてアセクシャルも集計の中に入っている可能性だって十分にあり得るわけです。今回はLGBTの市場規模調査のためLGBT等の収集結果は公開されていません。それを公開しないのはおそらく「調査結果のうち、市場効果のデータを公開します、個人情報が流出しないよう云々」と倫理的配慮に書かれていたのでしょう。そこは十分納得できます。

 

次に調査方法についての確認です。

<事前スクリーニング調査の概要>
 ・調査対象:20~59歳の個人69,989人
 ・調査対象エリア:全国
 ・調査時期:2015年4月7日~8日
 ・調査手法:インターネット調査

<「電通LGBT調査2015」の概要>
 ・調査対象:20~59歳の個人900人(LGBT層該当者500人/ストレート該当者400人)
 ・調査対象エリア:全国
 ・調査時期:2015年4月9日~13日
 ・調査手法:インターネット調査      (記事引用)

 

こちらからわかる通り、インターネット調査で行われています。インターネット調査の良いところは「誰もが気軽に回答できること」ですが、デメリットは「その調査に興味のある人間が回答すること」です。何が問題かというと、無作為抽出のように見えて、偏りが生じやすいということです。

またスクリーニングの年齢から分かる通り、20〜59歳を対象にスクリーニングをとってますが、実際の調査ってどうだったんでしょうか。回答したい人が回答するスタイルなのであれば、セクマイ界隈には若い子もいっぱいいますし、逆に年齢が高くなるとよくわからん調査に答えなくても……となる可能性があります。その結果セクシャルマイノリティ の確率が13人に1人になったとしても不思議ではありません。

 

 

また私が述べたいものがあります。「2019.12.11福岡新聞夕刊」から「LGBT10人に1人」です。

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回答者は「34万8千人」調査実施者はLGBT総合研究所。 https://www.daiko.co.jp/dwp/wp-content/uploads/2019/11/191126_Release.pdf

 

こちらでの結果は次のようになっています。

性的指向

異性愛93.0%

両性愛2.8%

エスチョニング1.4%

同性愛0.9%

アセクシュアル0.9%

(恋愛感情を抱かない←正しくはない)

その他1.0%

 

性自認

シスジェンダー93.9%

Xジェンダー2.5%

トランスジェンダ1.8%

エスチョニング1.2%

その他0.6%

 

調査方法は以下の通り

■調査設計概要
<LGBT 意識行動調査 2019(事前調査)の概要> ・調査対象:20~69 歳の個人 428,036 名(うち有効回答数:347,816 名) ※集計にあたっては 20~69 歳男女の人口構成比に応じたウエイトバック集計を実施。 ・調査対象エリア:全国
・調査時期:2019 年 4 月 16 日~5 月 17 日
・調査手法:インターネット調査
<「LGBT に関する生活意識調査」の概要>
・調査対象:20~69 歳の個人 ・割付設計:計 2,578 サンプル
・調査対象エリア:全国
・調査時期:2019 年 4 月 24 日~5 月 20 日 ・調査手法:インターネット調査

 

こちらもインターネット調査である。先にも申し上げた通りの偏りが生じている可能性があることは留意の上次に進んでいただきたい。

またURLにも載せたが、調査結果が大変面白いのでお暇があればぜひ見ていただきたい。

 

では次に、某氏が比較に載せていたぺーじから。

http://www.ipss.go.jp/projects/j/SOGI/index.asp

こちらでは調査書類を一斉に送り、回答は返送とインターネットからの2通りの方法がありました。大阪市の住基台帳から15000人の無作為抽出による調査でした。

この調査方法のみ「所在地の中から無作為抽出」を行なっていることが記載されています。そのためインターネットに明るくない層からの回答も期待できます。逆に言えば、LGBTに詳しくない当事者やインターネットだと回答しない層も回答することになるということです。インターネットに回答しない層になぜ下線を引いたかというと、調査に興味のある人間は積極的に回答します。そのため、インターネットのような「ページを開き、回答し、送信する」という作業があるため、非当事者からの回答が期待できない可能性があります。しかし郵送で届いたものであれば話は別です。パソコンを用意せずとも目の前にあるものに回答をすれば良いですし、お礼状を兼ねた督促状も贈られたとのことで、インターネット調査では回答しない層も回答するに至った可能性が大いにあります。

またインターネットで回答することも可能ですが、カミングアウトしてない当事者が家族で自分だけインターネット回答をしたりするでしょうか……?家族と一緒に無難な回答を書いて返送する可能性を否定することができません(あるいは家族ごと回答しない可能性もあります)。

実際に有効回答数は15000のうち4285だったそうです。

 

さて、どのような結果になったでしょうか。

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異性愛者83.2%

同性愛者0.7%

両性愛者1.4%

アセクシュアル0.8%

決めたくない・決めてない5.2%

質問の意味がわからない7.5%

無回答1.1%

 

このことから分かるのはまず

アセクシュアル割合がほぼ一緒(0.9%、0.8%、海外の論文では1%とも)であること

・同性愛者の割合もほぼ一緒(0.9%、0.7%)

両性愛者の割合には疑問が残る(2.8%と1.4%では倍違うため)

 

つまり、◯人に1人のような言い方をしているデータだからといって「水増し」をしているとは考えづらいのではないか?ということだ(ただしトランスとLGB等が重複する可能性があるので何を根拠に10人に1人になるのかはわかっていないが、異性愛者以外、シスジェンダー以外、その他を除外した数を足すと11.5%になるからではないかと思ってる。)

つまり、アセクシャルもちゃんと計算に入れてくれてるわけだ。

 

もう一度問う。この結果を見て、水増しだと思うか?それは見た人の判断次第だ。

 

 

さて、ここからが本題です。

某氏は「電通は、セクマイを「商売道具」にする気だった、というのは果たして“被害妄想”だろうか?」と述べています。

これに対する私の回答は「LGBTは非生産的」という言葉から「(子を産めないことで)非生産的だというのなら、実際に生きて生活している人たちの消費を見てみましょう。わかりやすく名前をつけて世にアピールしましょう」というのが目的だったのではないかと推測しています。

「商売道具」というが、LGBT当事者や支援者が消費した経済のデータを調べるだけでどうやって金儲けをするのか?甚だ疑問である。そこから急に商売道具にするつもりだ!と突っかかるにはあまりに話が飛び過ぎている。某氏はこの部分でしかこの話題に触れてない。

批判は確かに批判として受け止められるべきだ。しかしその「商売道具」という発想はあまりにも突飛すぎる。

f:id:A_yahiro:20200731082228j:image(上記電通調査より引用)

見づらいかもしれないが、今回のLGBT層の消費市場規模の表だ。電通はこのなかから何をどうやって「商品道具」と化するのか、ご教示いただきたい。電通は広告代理店だ。そしてその広告代理店がLGBTのことを扱うと「商品道具にするな」と声を上げるものが出てくるのであろうか?私は不思議でならない。理解が追いつかないのでもし見られたらanswerが欲しいところです。

 

さて、では次に「無視されたもの」について触れますね。

 

これはまあ「アセクシュアル電通が無視したのではなく定義が難しく、選択肢を大量に増やすことになるために仕方なく調査対象から外した」と私は考えてるので答えが出ないですね。某氏が受け取った誹謗中傷に関しては存じ上げませんし……。

 

これらの結果を見て純粋に思うことは、アセクシュアルはずっと1%いると言われ続けてましたからね、実際に結果として数値に出ていることが嬉しいですね。

 

最後に復習としてもう一度わかりやすく記載しますが電通は「LGBTの少子市場規模」の調査をしており、他の研究は「LGBTQ+(セクシャルマイノリティ )の人数についての研究」ですから、やることも目的も手段も全て異なるのです。

例えば「スマホの外出時の使用頻度を調べる研究」と「スマホの所持率の研究」があったとします。

スマホの外出時の使用頻度を調べるため、専業主婦や在宅仕事の人は調査対象者から外します」といった場合差別だ!と声を上げますか?この調査は何を調べたいのでしょう?学生や、仕事で働きに外に出る人たちがどれだけ通信料を必要とするのかを知りたいからこの研究をするのかもしれません。その場合、在宅でWi-Fiを使っていることの多い人たちを調査候補に入れても意味がないですよね?

逆に「スマホの所持率の研究」の場合、どれだけの人が持っているのか調べるだけで、除外される人は少ない(ホームレスとかの住所不定くらい)ですよね。

このように、研究には研究に対する目的があり、その目的のための手段があります。そこを見ずに数値だけを見て批判をするのは少し早計ではないでしょうか、というのが私の意見です。

 

さて残りの3つ(以下)ですが……

・Ace界隈も「アロマンティック」を無視しないようにしなければならない

そもそもアセクシュアルは「無視されている」ことが少ないということを前提で見なければなりません。アセクシュアルは……アロマンティックもですが、定義が大変難しいのです。よく悪魔の証明に例えられますが、アロマアセクを扱わない人たちのほとんどがまず「無知」であることが多いと認識しなければなりません。

アセクシュアルの本ですら昨年日本国内で発行されたばかりです。これからどんどん広まっていく最中なんですよね、なので「無視しないで!」というよりも「こんなセクシャルマイノリティもあるんだよ、ぜひ広まってくれると嬉しいな!」のスタンスでなければ変な人がなんか変なこと言ってきた、という印象にしかなりません。

「愛する権利」を謳うLGBと対抗するように存在するのが「愛さない権利」を主張する私たちアセクシュアルです。最初から居心地の良い場所ではありません。居場所を作るのは私たちです。それを肝に銘じて活動基盤を作っていけたらと私は考えています。

しかしもっと難しいのがアロマンティックです。社会は性的指向と恋愛指向を分けて考える人、分けて考えることができる人がとても少ないため、周知がとても大変です。正直アセクシュアルよりも壁が高いようにも思います。ぜひ手を取り合っていきたいとおもいますね。


デミセクシャルとフレイセクシャルの扱いの差

こちらに関してはどうでしょう。デミセクシュアルは最近認知が上がってきましたね。「それが当たり前の恋愛の発展でしょ?」なんて言われがちではありますが、他のセクシャリティの方から理解されやすい内容だから広まった、といっても過言ではないかと思います。

ではフレイセクシャルとは何か?簡単に言えばデミの逆で、親しくなればなるほど性的欲求がむかなくなるセクシャルマイノリティの一つであるとのこと。おそらく想像がつかない人も多いでしょう。そりゃ広まらないよなと正直思ってしまいます。

そしてもう一つ、最初から性的欲求が他者に向いてる状態があるってことはアセクシャルアンブレラに入るのか否か、判断しかねると私は考えます。

フレイセクシャルが知られたのはアセクシュアルよりももっと後になってからだと思いますし、周知活動をさらに増やしていくべきなのかもしれませんね。

 

では最後に。
マイノリティだからと言って一枚岩とは限らない

 

簡単に言えば、ブロックされたから言い訳してるよう見えるページだ。いるのかこのページは。この方を「一枚岩とは限らない」と紹介する必要はあったのだろうか?

正直被害者ぶって「可哀想っていって慰めてくれ」といっているようにしか見えない。

意見のすれ違いでブロックなんてTwitterではよくあることだ。私は昔めちゃくちゃ褒め称えてた顔がいいMtFをちょっとした言動が無理でブロックしたことがある。私は自衛でブロックを用いるので、ブロックに対してそんなに深く考えていない。ブロックに過敏に反応しすぎではないか?

 

私たちは、私たちなりの正義・思考・主義主張などで行動し、呟き、身を守るためなら自衛をしている。何をするかも自由なこの場所で、自分の思考や主義主張と合わないからという理由でブロックしているのに、後からぐちぐち言われるのはちょっと見ていて疲れる。開いた口が塞がらない。なので、この項目に関してはこれ以上述べない。

 

 さて、長々と話してしまった。煩雑になりましたが、以上になります。突発的に書いてすみませんでした。

うつだと歯が磨けないよね

前歯折れたのでとりあえず書き記そうかと。

昔から歯磨きができない子供だった。なんと言ってもミントがダメだからだ。

先人たちのブログなどを拝見したが「マウスウォッシュをするだけでも少しスッキリするから自分からやる事ができた」とか書いてあって勝手に背水の陣の気持ちになっている。

歯磨きのスッキリ感の素となるミントやキシリトールが苦手も苦手、吐き気がするほどダメで、歯磨きする気力すら無い人間がどうやって歯磨きを継続できようか、いや無理だ(反語)。

甘えてるんじゃないの?と思うかもしれない。だが、嫌悪学習の理論通りに私は日に日に歯磨きがダメになっている気がする。

 

嫌悪学習ってなんじゃらホイって人もいると思うのでもう少し詳しく書くと、脳が学習をする際に行動に対する強化子を用いてその行動を強化、もとい習慣化する事ができる。その逆が嫌悪学習と言えばわかりやすいだろうか。普通なら、歯磨き後のスッキリ感が強化子となり歯磨きは自然と習慣化するはずなのだ。しかしながら私は先に述べた通りミントやキシリトールというものはてんでダメだ、受け付けない。嫌悪刺激(よく心理学で出てくるのは電流刺激とか)で学習の消去を図ったり、学習性無力感というものを生じさせたり、まあそういうものだ。記憶の限り子供用の歯磨き粉を使ったのは最近になってからで、小さい頃からクリアクリーンだった。あれがもう本当にダメで、歯磨き粉をつけずに歯を磨いても不快感が高まるレベルになっている。脳の中で歯磨きという行為と歯磨き粉による吐き気が関連づけられてしまい、歯磨き=不快な行為として図式が出来上がってしまっているのだ。これが学習性無力感。歯を磨かないと痛くなったり歯医者に行かなきゃいけないのは分かっているのに、そのために生じる嫌悪刺激がつらくてつらくて行動が減少してしまうのだ。実に理にかなった学習をしている私。身を持って体感している。すごい。

 

なんて言ってられるわけもなく、歯が折れたということは今後義歯を挿したとしてもケアが欠かせないわけで(すでに折れてた歯の義歯はもう取れてるので、前歯とその横の歯が2本とも無い状態)歯磨きとは一生付き合わなきゃいけない事はわかっているのだ。だがどうしたらいいのか分からない。

嫌悪刺激を取り除けないのにこの学習を書き換える方法がわからない。歯磨きに対する報酬を何にすれば学習性無力感を消せるのか分からない。認知行動療法を取り入れるらしいが物理的な嫌悪刺激をどうしたらいいんだ。甘い甘い子供用の歯磨き粉を使ってもなお嫌悪刺激となるのにどうしたらいい?

答えがあまりにも見つからない。

清涼剤一切なしの歯磨き粉があるとか歯科の非常勤から聞いた気がするが、うちの大学の病院にある歯科で相談した時は子供用の歯磨き粉を勧められて終わった。

 

おそらく歯磨き粉の清涼感で悩んでるのは私だけでは無いはずだ。ちなむと無印良品の歯磨き粉は清涼剤にハッカも使われてるのだが、他社より少しはマシだ。嫌悪刺激に変わりはないのだけれど。

答えを実は見つけてあるのだ。無印良品の持ち歩き用、歯磨き粉シート。その名も「フィルム歯みがき」24枚入り500円くらい。24回で500円、1回20円、1ヶ月600円、1年7300円、平均寿命まで生きたとしてあと64年で47万くらい。引くほどコスパが悪い。ネットで見かけたものだと普通の歯磨き粉だと1回分は2円くらいだとか。10倍じゃねぇか!!フィルムに加工しなくていいからその材料のまま歯磨き粉として売り出してくれ頼むと思ってる。

 

以上、深夜の嘆き。